韓国の人が考える法の精神は、よくわからないが、大惨事を起こした船長に対して検察より死刑求刑があった。万が一、これが執行されるようなことになったら、いったい、法とは、何なのかが問われる大問題になるだろう。常識的な感情だと考えるが、死刑が成立する条件は、自分勝手な利益のため、明確な殺意を持ち、ある程度の計画性に従い、特別な場合を除いて、複数の人を自ら殺害、或はその実行を他人に依頼することと考えている。現在、それすらも否定する、死刑廃止論も活発になって来ている今日この頃だ。自己保身に満ちた驚くべき、船長の無責任な振舞は、厳しく追求されるのは当然だが、この事件は、わが国で起きた光市事件などとは、事情が大きく違っていることは否めない。私は、最高裁の判決はほぼ、100%信頼してきた。確かに、それすらも疑えという意見もあるが、余りにそれにかかわってしまうと国の進み行きまでが停滞する危険もあるだろう。また、全く犠牲や矛盾を残さない問題解決なんて存在するのかとさえ思っている。これを機会に「ルール オブロウ」=法の支配とは一体どういうことなのか、再認識することも有意義だと考える。韓国の人々に余計なお世話と言われてしまえば、それまでだが、是非ご遺族の方々に、死刑が相当という表現は自制し
て欲しいと感じている。換言すれば、心の中ではそう思う自分もいるが、実行となるとそれに反対する自分もいるという境地に到達してくれれば。