韓国の人が考える法の精神は、よくわからないが、大惨事を起こした船長に対して検察より死刑求刑があった。万が一、これが執行されるようなことになったら、いったい、法とは、何なのかが問われる大問題になるだろう。常識的な感情だと考えるが、死刑が成立する条件は、自分勝手な利益のため、明確な殺意を持ち、ある程度の計画性に従い、特別な場合を除いて、複数の人を自ら殺害、或はその実行を他人に依頼することと考えている。現在、それすらも否定する、死刑廃止論も活発になって来ている今日この頃だ。自己保身に満ちた驚くべき、船長の無責任な振舞は、厳しく追求されるのは当然だが、この事件は、わが国で起きた光市事件などとは、事情が大きく違っていることは否めない。私は、最高裁の判決はほぼ、100%信頼してきた。確かに、それすらも疑えという意見もあるが、余りにそれにかかわってしまうと国の進み行きまでが停滞する危険もあるだろう。また、全く犠牲や矛盾を残さない問題解決なんて存在するのかとさえ思っている。これを機会に「ルール オブロウ」=法の支配とは一体どういうことなのか、再認識することも有意義だと考える。韓国の人々に余計なお世話と言われてしまえば、それまでだが、是非ご遺族の方々に、死刑が相当という表現は自制し
て欲しいと感じている。換言すれば、心の中ではそう思う自分もいるが、実行となるとそれに反対する自分もいるという境地に到達してくれれば。

                                       ジェームスゴールウエイについて,その 1 

  私が、初めてフルートを手にしたのは、1970年、動機は、唯、何となくですが、その頃、吉田雅夫先生が、Eテレでフルート教室を始められ、先生が演奏されたグルックの「精霊の踊り」の余りに美しいフルートの音色に影響されたのかも知れません。因みに先生は、N響の主席フルート奏者時代、あの伝説的天才フルート奏者かつ名教師のマルセル=モイーズに直接レッスンを受けにフランスに行っておられます。また、ゴールウエイも、モイーズの孫弟子にあたります。1970年、ゴールウェイは、カラヤンベルリンフィルに主席フルート奏者として入団。カラヤンが、電話越しにゴールウエイの演奏を聴いて、「よし、君だ」と言った具合の100%嘘話も流布されるほどでした。1972年、カラヤン指揮でモーツアルトのフルートとハープのための協奏曲を録音します。私もこのレコードを持っていますが、この時のゴールウエイの演奏、フルートの音の概念を変えるような唖然とするパフォーマンス。まさに、モイーズが追求してきた音ではないかと思わせるほどです。天才少女、アンネ= ゾフィー= ムターが、やはりカラヤンベルリンフィルモーツアルトのヴァイオリン協奏曲「トルコ風」を弾いています。表現力の豊かさとひたむきさは、よくわかるのですが、カラヤンの手のひらにいるという感覚は、免れません。個人的感想になりますが、ゴールウエイは、あのベルリンフィルをリードしているようにも見えます。換言すれば、ことフルートハープに関しては、カラヤンより俺のほうが研究していると言わんばかりです。確かにそれは、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲に比べ、ちょっとモーツアルトの主流から外れるので、カラヤンもさほど力を入れていなかったのかも知れませんが。ここでちょっと寄り道しますが、オーケストラの主席フルート奏者にとって最も吹きたい作品って何でしょうか。穏当なところで、ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」?それとも、スメタナの「モルダウ」の冒頭部分?いいえ、私は、ドニゼッティのオペラ「ランメルムーアのルチア」の中のルチア狂乱の場で半狂乱になったルチアと対話するような3分間ほどのフルートソロです。これで、世紀のプリマドンナ、マリア=カラスやエディッタ=グルベローヴァさんを支え、協演出来れば、笛吹き冥利に尽きると思います。ゴールウエイもレコーディングはないようですが、ベルリンフィル時代当時の名ソプラノ、ドイテコムさんあたりとルチアを協演しているのかも知れません。さて、私はと言えば、何事もやるからには、基礎からという性格なので、1976年あたりから1999年まで正式に、先生につきました。もちろん、プロになろうという気はさらさらなく、毎週のレッスンをゆっくり楽しんできたわけです。今は演奏はやめて専ら聴く側です。23年間の成果、2年間くらい真面目に練習したので、バッハのト短調ソナタは、全楽章まあ何とか、有名なハンガリー田園幻想曲は、前半のゆっくり部分はいいのですが、後半のハンガリーの舞曲の部分、能力を超えるものでした。またこれから何か楽器を始めたいと思っている人は、フルートは一番だと思います。まずその音色の美しさ、楽譜の多さ、軽く5000曲はあるでしょう。モーツアルトなどクラッシックもいいですが、ママス&パパスの「カリフォルニアドリーミン」やユーミンの「春よ来い」など丁寧に吹ければ、人生変わります。余計なことですが、もしフルートを選ぶのなら余程細い指でない限り、キーの真中がくりぬいてあるいわゆるリングキーを経験上お勧めします。さて、1975年、ゴールウエイは、ベルリンフィルを去ることになります。続きはまた。

 

 

 

 

 

                               私は、Galwayera.

  ゴールウエイとは、アイルランドの一地方を示すという場合もありますが、私の場合は、イギリスのフルート奏者、ジェームス=ゴールウエイさんから来ています。私のメールアドレスにもなっていて、本当はeraは要らなかったのですが、既にgalwayは、ある英国人が登録していて仕方なくそれを付けました。ゴールウエイの時代というほどの意味でしょうか。彼のファンではありますが、音楽はジャンルを問わずよく聴きます。私の生活の中で大きな比重を占めていますね。この辺から交流を深めていければなと思っています。